子育てってみんな同じ♪ ~自閉症はやがて個性へ~

重度の自閉症児と言われた我が子が、普通の大学生へと成長していきました。その道のりを現在の状況やタイムリーな話題も交えながら綴っていきます。

療育スクール

保健センターで月2回開かれる自閉症児のための療育スクールは、市の保健師さんが取り仕切っていました。

彼女らは実にすばらしい人たちで、それほど深く親交があったわけではないのですが、確実に私たち親子をより良い道へと導いてくれました。

私がここで学んだことは―

なにしろ人の意見を聞くこと。

その中で自分たちに適した情報をふるい分けて取り入れていくこと。

このふたつです。

意見を聞いたり、情報をもらうことはそれほど難しいことではない気がします。

重要なのはそのあと、もらった情報をふるいにかけていく作業が的確に行えるかどうかで、結果が違ってきます。

例えば、自閉症児にマラソンがいいという話を聞きます。

当時も結構ブームのようでした。

でもそれがはたして我が子に合うことなのか。

本人が意思表示ができないとすれば、親が判断しなくてはなりません。

確かに体力がつくとか、数字や結果がわかりやすいとか、目的を持たせるなどのメリットはあると思いますが、それを本人が望んでいないとすれば、ただやらされていることにうっぷんが溜まることにもなります。

自閉症児の子育ても、普通の子の子育ても基本はみな同じ。

無理な押し付けは親子の信頼関係にひびが入ります。

 

私はふるいにかける作業が得意だったと思います。

なぜか。

自分がRINに似た傾向があったからに他ならずです。

きらいなものは受けつけません。

体全体に拒否反応が走るのがわかります。

それを突きつけられたときの大きな動揺は言葉にできない程強いものです。

当時は自分にそういう傾向があることを意識していなかったので、ただ自分は子育てに関して賢いのだと思っていました。

でも違いましたね。

自分がそういう人間だったから、RINの気持ちにそのまま寄り添うことができて、決して無理をさせなかったことで、結果的に強い絆が生まれました。

私を呼ぶこともせず、自分の名を呼ばれてもいっさい振り向きもせず、必要な時だけクレーン現象で私の手を使う、究極の自分勝手野郎のRIN。

このコミュ力ゼロの彼が、今普通に近い状態でいられるようになったのは、間違いなく私との絆があったからだと断言できます。

あの幼児の頃のRINを知る人たちは、みな驚きの声をあげますから。

結果的に私は、RINが見事に変わっていってくれたのは、自分が賢い子育てをしたからだと自画自賛していましたが、彼の成長と共に、自分の持っていた特性が功を奏しただけだと気付かされることになります。

 

そんな私、当時はおごりも何もなく、ただただ重度の自閉症児のRINとまだ0歳児のAIを連れて、スクールに救いを求めて通い続けます。

保健センターの広い広い一室で、保健師さんたちは子どもたちの面倒を一気に引き受けてくれ、その間に我が子の動きを見ながら母親たちはいろんな話をし続けます。

愚痴であったり、情報であったり、ただひたすらお互い腹の底からの言葉で会話をします。

同じ境遇という安心感があり、精神的にゆっくりとできました。

RINにとってというより、母親の私にとって貴重な時間だった気がします。

 

ここに通う子どもたちのほとんどが専門の医療機関などを受診して、この市のスクール以外できちんとした療育や指導を受けていました。

専門の療育はなるべく早めに受けた方がいいとみな口を揃えて言います。

私は迷っていました。

RINが他の子と比べて極めて重度に見えていた私は、それほどの成長を望んでいませんでした。

療育の機関では結構無理やりなことをやらされるよと聞かされると、そんなことをRINにさせるのは嫌だと思ってしまいます。

遠い場所まで通わなければならないと言われると、まだ小さなAIをそんなふうに振り回すのがかわいそうだと思ってしまいます。

自分自身も含めて、無理なことはしたくはありませんでした。

RINちゃんをもっと成長させたくないの?と問われると、療育に通わないことが親としていけないことだと非難されているような気持ちにもなりました。

そんな時、ひとりの保健師さんが救いの言葉をかけてくれました。

彼女は2度、私を大きく導いてくれることになります。

私たち親子がこうしていられるのも彼女がいてくれたからだと、長い月日を経た今も感謝をしています。